Divine Discontent
The Last Remnant fansite
4.使命
「いいのか、あいつのこと追わなくて。」
「いいんだ、ゲオルグなら、うまくやるさ。」
「それに、シエラも…大丈夫だと思うわ。」
ゲオルグが去った後。
再会を果たした夫妻も落ち着きを取り戻し、玉座の間には静寂が戻った。
夫妻の言葉からは、子供たちへの信頼と愛情を感じることができて、
ラッシュは少し安心した。
「ふーん、そういうなら。
しっかし、20年も経ってたとはなぁ…。
よく見たら、お前たちも結構変わってんなー。」
「お前のほうは、ソバニみたいに全く変わってないが。」
腕組みしながら、ラッシュは夫妻を見た。
イリーナは、母を思い出さずにはいられないぐらい、その面影が強くなっていた。
ダヴィッドのほうは、もともと細身な印象だったが少しがっしりとした体つきになって、
もとからあった貫禄が、さらに増したような感じだ。
ただし、みんなによく言われるように、
ラッシュの感性は繊細ではないのでこれが正しいかも定かでないのだが。
少しの沈黙ののち、ダヴィッドが問いかける。
「20年も、何をしていたんだ。」
「ああ、オレ?
オレは世界の管理をしていたんだ。上手く説明できないかもしれないけど…。」
ラッシュは語り始める。
この世界を管理する上位世界に居たこと。
その世界に覇王とレムナントを連れて行ったこと。
管理者は下位の世界に、レムナントのような力を与えたり奪ったりして
世界の寿命を延ばすことが仕事だということ。
自分は起動前にマリーナに発見されたため、仕事を忘れていたこと。
そのため、スペアである覇王が、ウィルフレッドの暴走をトリガーとして
目覚めたこと。
そして…
「それで、そのいけ好かないシルクハットと、詩人野郎の代わりに
小さな島の世界に行ってきて、そこの星杯ってのを回収する仕事が終わった後…
イスカンダールのおっさん、あっ、オレの上司みたいな奴がさ、
この世界、あと現地時間10年でなくなっちまうって、
それで、オレが戻って処理していいけど、どうするって聞いてきてさ。」
「世界がなくなる? それに、そんなことどうにかできるのか?」
「もう一度、レムナントを戻すんだよ。
レムナントの力が強すぎるのもいけないけど、なさすぎてもいけないみたいでさ。
なんか心当たりとかない?」
心当たりは…ある。
ラッシュの言葉に、ダヴィッドは深くうなづく。
確かに、あれ以降アスラム近辺の地盤は弱くなる一方で、
ヤマーン平原などは穴だらけだ。
近くではホワイトロッキーにも雨が多く、街道整備に資金と人が慢性的にかかっている。
そして風のうわさに聞くのは、バルテロッサのオアシスの水位が下がってきていることと、
バアルークは最早人の住める場所ではなく、難民があふれ出していること。
「そう、この世界の命を延ばすためにオレは戻ってきたんだ。
だから、ダヴィッド、またオレのこと手伝ってくれないか。」
20年前と同じ笑顔で、ラッシュはそう言った。
「しかし、何でもかんでも戻せばいいというものではあるまい、
ラッシュ・サイクス?」
ラッシュの背後から、声がする。
エミーの隣を抜けて、黒いソバニ、トルガルがダヴィッドの前に進み出る。
「少なくとも、ゲイ・ボルグやビルキースなど、兵器としてのみ使用されるものは
戻すべきではないと考えますが。」
「ああ、私もそう思うが…となると、レムナントがあった場所の現状視察と、
各国への協議が必須になるか。
だが、今は私もゲオルグも、手一杯だな。」
「シェヘラザード様がおられます。
もう、このぐらいの仕事は任せてよいと思われますし、私も随行いたしますので。」
トルガルの提案に、ダヴィッドとイリーナは頷く。
ラッシュは相変わらず、話がわかっているのかわからない表情をしている。
バタバタバタ…
この難しい雰囲気をぶち壊すかのように、出て行ったときと同じく、
派手な音をたてて、シエラは謁見の間に入ってきた。
「エミー!ごめんなさいっ!そんなつもりじゃなくて、家族は大事にしなきゃ!
早まっちゃだめですよ!」
みんなの視線がシエラに注がれる。
トルガルがため息をついている。
それで、やってしまった、と気づき、シエラは真っ赤になった。
もう一度逃げ出そうとするシエラを、エミーが止める。
「シエラ様は、本当にお優しい。
大丈夫です。私は、いつだってアリエスとベアが一番大事なんですから。」
エミーがシエラの手をとって、にっこりと笑う。
今日はアリエスがエリュシオンに出張中、というのがシエラにとって唯一の救いだろうか。
イリーナも、くすくすと笑っている。
少しばつの悪そうな顔をして、こほん、とダヴィッドは咳払いした。
「あー、シェヘラザード、丁度いいから今伝えるが…
今度、このラッシュと一緒に各国へ親書を届ける役目、使者をやって欲しいのだが。
サポートにはトルガルについてもらう。」
「えええー、そんなの嫌です!」
「バルテロッサにも寄ってもらうが。」
父の要請に心底嫌そうな顔をしたシエラだったが、
バルテロッサに行けると聞いては目を輝かせないわけにいかない。
しかし、一緒に行くのがトルガルとは…。
アスラムもそれなりの街だが、セラパレス、ゴール、バルテロッサは別格の大都会である。
特に、バルテロッサは物流の中心ということに加えて、景観も素晴らしく良い。
商隊の庭にあるオープンテラスのカフェで、トウテツ跡地を眺めながら
お茶をするのがある程度上流階級の若い女性の憧れで、シエラの夢でもある。
迷子になるほど広大なバザールで、オーバーソウルのケバブを齧りながら
バルテロッサ風の雑貨を買いあさってもみたい。
対して、天秤の反対側にいる、トルガルは堅物というべきソバニである。
城の中で、唯一シエラに厳しい存在であるゆえ、いつも避けてしまう。
ゲオルグと分け隔てない、と言えばそれまでだが。
しかし、間違いなくトルガルはカフェや雑貨を許してくれはしないだろう。
「とーさま、トルガルは、トルガルだけは絶対に嫌です。
せめて、ブロクター将軍にしてはいただけませんか。」
「ならん。ブロクターは武官だからな…
お前とラッシュとブロクターで、どう各国に話をつけるというのだ。」
素直なシエラの言葉を聞いて、ラッシュ、エミーは吹き出してしまった。
面と向かって嫌と言われたトルガルは憮然とした表情、
シエラ本人は究極の二択を迫られて、必死の形相である。
「ほっほっ、では、トルガル殿の代わりは、私めではいかがでしょうかな。」
シエラが後ろを振り向くと、先ほど置き去りにしてきたパグズとゲオルグが並んでいた。
ゲオルグがシエラに、さりげなく目配せする。
「父上、私も先生に随行していただけるなら問題はないかと考えますが。」
「それはいいのだが、パグズ、体は大丈夫なのか。長旅になるぞ。」
「もとよりこの身はアスラムに捧げましたものゆえ。
姫様のためならば、どうなろうと結構でございます。
それに、クシティはミトラより老化が緩やかですので、
この老いぼれでも姫様についていくことぐらいはできましょうぞ。」
「…そこまで言うのなら、パグズ、シェヘラザードを頼んだぞ。」
「ええ、最後のご奉公、しっかり務めさせていただきますぞ。
ラッシュ殿、よろしくお願い申し上げる。」
「おう、わかった!またよろしくな、パグズ!」
憮然としたトルガルを脇目に、シエラは飛び上がって喜んだ。
自分の大好きなパグズと、父母の大好きなラッシュと。
未知なる世界への旅の予感が、シエラの胸を高鳴らせた。
5.旅立ちの前に
「姫様!ハーブもう一つおまけしておきますよ!」
「本当?ありがとう!助かります!」
ハーブの詰められた袋に小さい試供品の袋を手渡されたシエラは、
にっこりと笑って、薬草屋の店主にお礼の意を告げた。
旅立ちの日を明日に控えた三人は、
準備のため賑やかな大通りにやってきていた。
本当を言うと、薬草の準備などは城ででもできるのだが、
社会勉強のためということもあり、城下で一通りそろえるよう命じられていた。
薬草屋のあとは、カスタマイズ工房に研ぎに出していた武器を回収して、
今日のところは解散かという時にパグズが口を開いた。
「傭兵は、いかがいたしましょう。雇いますかな?」
「オレはどっちでもいいけど。」
「うーん、よくわかりませんけど、とりあえず見るだけみてみましょうか。
気に入れば、雇えばいいんですから。」
「それもそうですな。見るだけならタダでしょうし。」
・・・
「おお、ここはあんまり変わってないんだなぁ。」
「こんなとこ、初めて来ましたよ。」
「それはそうでしょうな。普通は必要ございませんし。
まぁ、これも社会勉強かと。」
郊外にある、クラージェ区。
大通りとは違い、少しうらぶれた雰囲気があるが、
情報収集ができるパブやギルドがあり、冒険者たちにとっては特に大事な場所である。
「姫様、おかけになって、お待ちいただければ。」
「だめです、先生、それじゃ勉強になりません。」
パグズはギルドの小さな建物の左端に置かれた粗末な椅子に、
シエラが座るよう促したが、彼女は首を横に振って、ギルドのカウンターへ向かう。
「ああお待ちください、それならば手続きは私がいたしますので
姫様は隣にいらっしゃれば。」
パグズはそう言って、一般的なクシティがよくやるように、ぴょこんと飛び上がり、
カウンターにぶら下がる体制になった。
ギルドの受付は、カウンターにぶら下がるクシティと隣の褐色の少女の正体に気づき、
少しだけ焦る様子を見せる。
「ラッシュ殿は、何か人材にご注文ございますかな。」
「うーん、オレもシエラもパグズも大体なんでもできるじゃん。
敢えて言えば、強くて…薬草に詳しければいいんじゃないかな。」
瞬間、ギルドの受付の視線がラッシュに刺さる。
この街で最も有名で素晴らしいクシティに意見できる人間など、何人もいないはずである。
それに、こんな見たこともない若い男である。
そこまで考えて、受付は男がセラパレスあたりの大貴族かと考え至り、更に焦る。
無礼をわびなければ、と思ったが肝心の男は気づいていないようで、受付はほっと胸をなでおろした。
「姫様、女性の傭兵などもおりますが、いかがなさいます?」
「い、いや、結構ですっ。」
「では、強くて、薬草に詳しくて、できれば無礼で尊大な人間を連れてきてくださいますかな。」
「はっ、はいっ!
すぐに呼んでまいりますので、そちらの椅子におかけになってお待ちくださいませ!」
粗末な椅子にシエラを腰かけさせてから、
パグズはもうひとつのギルドの内装は随分マシであることを思い出した。
しかし、あちらは自由に出入りできるのに対し、こちらの小さなギルドは紹介制…
つまり一見さんお断りで、傭兵の質、強さをそう定義するならだが、それは段違いに良い。
座って三分経つか経たないかで、職員が建物の奥からあわただしく一人の男を連れてきた。
「お待たせいたしました!
雇用条件の交渉が終わりましたらまた受付にお声かけ下さい。
成立した場合は、雇用報酬の1割を手数料としていただきますので、予めご了承ください。」
口上を述べて、連れてきた男に「問題を起こさないように」と釘をさすと、
職員はまた慌ただしく奥へと引っ込んでいった。
「おまいら、待たせたにぃ!
ヤング様が来てやりましたよ!」
「あっ、お前は!」
どこの方言かもわからない訛りをさせた男の声がするや、
男とラッシュ、パグズはお互い声をあげて、指さしあう。
剣呑な雰囲気は、傭兵にありがちな、昔にどこかの戦場で敵として相対した証か。
「知ってる人ですか、先生?」
「ええ、生きたレムナント…覇王の話は以前しましたな。
その覇王に従う部下の一人でしたかな。
確かダヴィッド様が止めをさしたような気がしましたが、よもや逃げおおせていたとは。
部下の中では側近を除いて一番相手するのに苦労したように思いますが。」
「漏れはあんなぐらいじゃ氏んだりしねーよっ!」
パグズの注文通り、ヤングは無礼にも踏ん反り返っている。
強さも、ラッシュの態度にも動じない、それ以上の非常識さもあり、申し分ないとパグズは思う。
「おまいらなんかこっちから願い下げじゃー!バーカバーカ!」
「いかがいたしましょうか、姫様。」
「んー、先生はどうしたほうがいいと思います?」
「ふむ…身体能力の高さを生かして、つかずはなれず、
後方に控えていてもらい、私たちになにかあれば応急措置し、逃げる隙など作れたら。
ラッシュ殿の点検作業中に、コラプスなど起きない保証もございませんので。
まぁ、保険という使い方になりますが、居れば私も安心できますな。」
「コラプス起こすかもって…オレって、もしかしてあんまり信用されてない?」
「まぁまぁラッシュ殿、私めの仕事は最悪を想定することですので。
あくまで可能性、ということですよ。」
「バーカ!どんだけ積まれてもおまいらにゃ雇われてやんネーヨ!」
交渉を突っぱね続けるヤングを、シエラは真っ直ぐ見つめた。
パグズにここまで言わせる男。きっと助けになるはず。
「なっ、なんだよ!」
「ヤング、と言いましたか。あなたは何色がお好きで?」
「なっ、なんだよ、赤だけど、何なんだよ!」
それを聞いたシエラは、カバンの中にある、上質なラプトルスエードの革袋をまさぐる。
そして、革袋からこぶし大の赤い宝石をひとつ取り出し、
ヤングと自分たちを隔てるテーブルの上にごとりと置いた。
「これでは、だめでしょうかね。」
ピクシーローズ。
深い赤をしたその石の単一結晶は薄い五角形で、
長い年月を経てそれが円形に重なりあい薔薇を思わせる形をとる場合がある。
世間一般に出回るものは、わざと薔薇に見えるよう加工がなされているが、
シエラの出したものは、石が放つ特有の魔力から紛れもなく天然物だとわかる。
ヤング自身も、かつての同僚はなの買い物に付き合った時に、加工物の値段を見たことがある。
その加工物でも、術だけで倒された外傷なしの上位種ドラゴンを売るより高価なはずだ。
そんな「本気の」ものを出されては、ヤングも頑なな態度は続けられない。
「ちっ、しょうがにぃ!助けてやりますよ!
だが、俺様おまいらとは必要以上につるまねーからな!」
「ほっほっ、交渉成立ですな。姫様もなかなかおやりになる。
…しかし、手数料の計算ができませんな。」
「これはあくまでオマケのつもりですから。さぁ、改めて交渉しましょう。
ああ、ラッシュもには雇用手続きには慣れてるんでしょう?
色々手伝ってほしいんです。」
「お、おう、わかった。」
ヤングには知るすべもないが、こんな石は、ドリルがゴロゴロ拾ってくるのである。
売れば国庫の足しになるとは思うのだが、その結果相場が暴落して不幸になる人もいるだろう。
それを知っているので、ほとんどの宝石は、シエラの部屋で腐り続ける運命にある。
・・・
シエラたち三人がギルドを後にする。
三人がパブの角に差し掛かった時点でようやくヤングがけだるそうにギルドを出た。
シエラは、新しい仲間に向けて、大きく手を振った。
「出発は、明朝です!それまでに英気を養っておくんですよ!
それじゃ、明日、中央広場で!」
6.リア・フォール
アスラム人の朝は早い。
日の出とともに、夜警担当の警備兵と朝昼担当の警備兵が交代し
それが終わったころ商店の店主たちが自分の店へやってくる。
そうして揃った店主たちと朝の警備兵が協力して自分の持ち場区域を清掃しはじめる。
シエラは、中央広場の大階段に腰かけ頬杖をつきながら、その様子をぼうっと眺めていた。
「早く出過ぎましたかぁ…。」
朝も早いので、商店には客などいるはずもなく、広場に居る人間で
掃除に参加していないのは、シエラだけである。
悪いと思い、私も掃除しますと申し出たものの、それも断られてしまった。
というわけで、シエラは今現在暇を持て余している。
忙しいのも考え物だが、何もしなくていいというのも困る。
きっと、平和なアスラムの警備兵が軍規にもない掃除をするのは、
奉仕精神半分、暇つぶし半分なのであろう。
「せっかく、新しいお洋服でいい気分だったのにな。」
ふぅっとシエラの口からため息がでる。
今度の旅では、あまりラッシュの存在を知られてはならない。
ラッシュには膨大な力が秘められているし、レムナントを顕現させることができる。
各国の領主であれば別だが、半端に権力欲を持った者に目をつけられてはかなわない。
そのため、今回は普段纏う準礼装ともいえる紋章と装飾付の軽鎧は着けないことにした。
フードの付いた長いパーカーとショートパンツ、ロングブーツ。
普通の人間から見れば、女性の傭兵のように見えるいでたちだ。
しかし、パーカー、パンツには最高級のコットン、
パーカーからのぞくビスチェにはライブシルク、ブーツはドラゴン革と、
商人からみれば、どこぞの大商家のお嬢様がお忍びで旅にでる衣装のように見える。
しばらくぼんやりしていると、住宅街のほうから車椅子を押す壮年のヤーマが近づいてきた。
車椅子に乗る柔らかな印象をしたヤーマの女性が、シエラに小さく手をふる。
階段から立ち上がり、シエラを車椅子の夫婦に駆け寄った。
「姫!」
「ブロクター、テティス、どうしたんですか!」
「ええ、今日出発だとお聞きしたもので…。」
足の弱い妻を、夫がひょいと抱きかかえて、その腰を支えて立たせて一礼する。
シエラは立たなくてよいと言おうとしたが、あまりに素早いので何も言えない。
特に、ヤーマは男性と女性の体格差が大きいので余計だろう。
ヤーマの男性は基本的にどんなに軟弱でも筋骨隆々という感じだが、
女性は背が高いものの、柳を思わせるすらりと線の細い体とミトラに近い相貌をして、
特にヤーマの女性を指して別種のネレイデスと呼称する地域もあると聞いた。
「…その…まだ、パグズ老はご到着でありませんか。」
「ええ、まだですが。先生にご用があるんです?
私でよければ、伝えておきますが。
あんまりテティスを外で待たせておくのも、良くないですし。」
「そんな、姫、いけません!」
ブロクターとテティスが顔を見合わせて焦る。
この反応からすると、どうやらパグズでなくて良い用事のようだ。
「じゃあ、命令にします。私が代わりに聞きますから、用事を言いなさい。」
「ええっと…姫、エリュシオンにはお立ち寄りですかな。
でしたら、これを…大使館に届けていただければ。」
テティスが肩掛けのカバンから小包を取り出し、シエラに差し出す。
宛名は、ネルソン、ブロクターとテティスの息子になっている。
「はい、わかりました。」
「ありがとうございます!」
シエラは自分の背に担いでいる大き目の旅行カバンを足元におろし、
夫婦から受け取った小包をその中に丁寧にしまい込んだ。
目線を上げると、まだ夫婦はありがとうごさいます、と繰り返している。
「しかし、ネルソンへの小包があるのなら…。」
「ええ、もうすぐ来られると思いますわ。」
「ああ、来る途中ですれちがったからな。」
エリュシオンには、アカデミーが運営している貴族の子弟が通う寄宿学校がある。
アスラムからは、今はネルソンと、ベア…エミーの息子が行っているはずだ。
ふとハニウェルの屋敷につながる路地のほうを見やると、
噂をすればというか、もう一組の夫婦の姿が見えた。
女騎士と、すこし優男風の術師の組み合わせである。
また遠慮させるのは面倒なので、シエラは予め手を前にだして、
寄越せ、というポーズをとる。
「命令です!エリュシオンへの荷物を私に預けなさい!」
エミーは少しびっくりしたものの、側にいるヤーマの夫婦がうなづくのを確認して、
荷物を持つ夫がそれを渡すのを促した。
「イエス、マイロード。」
「はい、受け取りました。」
「おや、まぁ、皆様お揃いで…
姫様、長らく待たせてしまって、申し訳ございません。」
「先生!」
荷物を受け取り、地面に置いたままのカバンに手をかけたとき、
大階段からぴょこぴょことパグズが、そしてあくびをかみ殺しながらラッシュが降りてきた。
パグズは所謂金持ち商人風に、ラッシュは軽鎧を着こみ、護衛風に変装している。
「ふわぁ。お前ら、相変わらず朝早いんだな。…っと、トルガルはいない、よし。」
20年前の行軍でも、アスラム兵は集合に遅れたりはしなかった。
遅れてくるといえば、ラッシュか、アカデミー勤めが長いイエーガーで、
そのたびにトルガルに小言を言われたのを思い出す。
「ラッシュ!」
「ん?」
ブロクターの呼びかけで、寝ぼけたラッシュの意識がすこし明瞭になる。
視線の先には、呼びかけた本人と、車椅子に座る女性のヤーマが居る。
ブロクターは少し照れた様子で、側のテティスを指し示す。
「俺の家内だ。」
「テティスと申します。ご活躍は夫と兄よりかねがね聞いております。」
「兄?足の悪い、妹…ボルソンの妹か!ぜんっぜん似てねえ!美人!」
「…確かに美人にちげぇねえが、お前には絶対やらんぞ。」
「あら、やだ。」
「いや、そういうつもりで言ったんじゃ…。」
ヤーマの夫婦は見つめあい、ラッシュを置いて二人の世界に行ってしまった。
そう、これこそが理想の夫婦だ、とシエラは思わずにやける。
一拍おいて、呆然とヤーマの夫婦を見つめるラッシュの鎧の端を、パグズが引く。
パグズがラッシュの体の向きを変えると、今度はミトラの男女。
「エミー殿、アリエスの紹介はよろしいのですかな。」
「あっ、はい、パグズ様。
ラッシュ、この人が、私の旦那様よ。」
「アリエス・ハニウェルと申します。今はパグズ様に代わり将軍職を賜っております。」
「よろしくな!…婿養子なのか?肩身はせまくないか、大丈夫か?」
「いいえ、そんなことは。エミー様の側にいるだけで私は満足ですから。」
「あなた…。」
「おい、こっちもかよ!」
術師然とした見かけによらず情熱的なアリエスに気圧され、ラッシュはたじろぐ。
反面、エミーがラッシュを好きだったと思い込んでいたシエラは、二人の様子を見て安堵した。
「姫様、そろそろ出発せねばなりませんぞ。」
「そうですね、羨ましい限りだけど、もどってきそうにありませんからね。」
遠くにヤングの気配を確認してから、シエラとパグズはうなづきあい、
広場からクシポス大通りにつながる出口にむけて歩きはじめた。
「おいっ、この状況に一人で置いていくな、おいって!」
・・・
街の大門の外も、朝から賑やかである。
どこの街もそうだが、旅人や商人が街に入るには、素性と荷物の確認が必須である。
今日も今日とて、手続きのため商人、傭兵、旅人…さまざまな人が門の外に列をなしている。
そして、列をなす人々相手にフルーツ、水、携帯食料、はては本をひさぐ者まである。
それを後目に、門に隣接する軍の騎獣舎へと向かう。
騎獣舎には、牙を抜かれて人に馴らされたラプトルが並ぶ。
砂漠ではグランドビートル、ヴェイリールのほうではフェンリスを使うこともあるそうだが、
セラパレス、アスラム、エリュシオンあたりではもっぱらラプトルを使う。
ラプトルは一人で乗るものではなく、荷車や、座席のついた複数人乗りの車を引く。
建物の前には、車がつながれたひときわ立派なラプトル・リーダーと、
その手綱をもつ兵士が待っていた。
「一番良い騎獣を手配させていただきましたが…
はて、ラッシュ殿は御せますかな。私の方には心得がありませんで。」
「つうか、こんなの乗ったこともねえ。」
「ほっほ、そうでしたな。昔はトランスポーターがありましたゆえ、
騎獣を使うものなど、行商ぐらいのものでしたかな。」
20年前には、トランスポーターというレムナントがあり、
それを利用すれば、特定の街道に限るが、移動距離を短縮することができていた。
それがなくなった後は、旅人のうち金のあるものは、騎獣を使うのが主流となった。
今ではディル高原にラプトル牧場などというものまである。
「では、ヤング殿は…ああ無理ですかな。」
遠くにいるヤングは、手で大きく×の形を作っている。
乗れない、というのか、乗りたくない、というのかは定かではないが。
「じゃあ、私が!」
元気よくそう言うと、シエラは兵士から強引に手綱を引き取って、
鐙に足をかけ、ひょいとラプトルに飛び乗った。
騎獣の馭者なら、エミーに教わっているので、一応大丈夫なはずだ。
カバンのサイドポケットから、おやつにと思って入れていたリンゴを取り出し、
ラプトルの口に横から滑り込ませ鼻の方を撫でると、もう主人はシエラになった。
「…ダヴィッド様には、くれぐれも口外せぬように。」
「ああ、もちろんだ。」
・・・
日が高くなるぐらいまで騎獣を走らせると、平原を貫く街道を遮るように岩が並びだす。
それをかいくぐるように街道は走り続けるが、その先の景色は、平原とは全く異なる。
ホワイトロッキー。
かつてレムナントの一つ、リア・フォールが存在したギルベール家の故地。
ダヴィッドはあれから雨が多くなった、と言っていたが、
確かにこの地域に進入してから、あれだけ輝いていた太陽が分厚い雲にかくれきりだ。
少し開けた場所で、リュウグウ種のモンスターと戦う人たちが見える。
騎獣を止めて少し見ていると、リュウグウの群れが街道をふさいでいる。
人々は一匹仕留めては、群れからはずれかけたリュウグウに石をなげ、
おびき寄せては武器での攻撃だけで仕留めていた。
「あいつら、アサルトアシッドとか使えばいいのに。
誰も使える奴、いないのかな。」
「ええ、誰も。もっとも、私たちも同じなのですが。」
「どういうことだよ。」
「もう少し進めば、嫌でもわかりますよ。
とりあえず、ラッシュ殿、武器での攻撃だけでサクっと片付けられませんかな。
「? わかったけど。」
「姫様!姫様も行ってくださいませ!一人で壊滅させては怪しすぎますぞ!」
「はあい!」
首をかしげたまま、車からひょいと降り、ラッシュはリュウグウの群れに突っ込んだ。
ラプトルに止まれと指示を出し、馭者の席から飛び降りたシエラもラッシュに続く。
突入した二人が何度か剣を振るうと、リュウグウの群れは壊滅した。
最初から戦闘していた戦士たちはどよめく。
きっと、あの二人はどんな凄腕の戦士だろうかと噂をしているに違いない。
・・・
二人が戻ってから、ラプトルを街道沿いに進ませると不思議な光景が見えた。
街道は水捌けがよくないらしく、ぬかるんではいるが、通れないこともない。
街道の左は一面崖だが、一部人の手によりくりぬかれ、茶屋や土産物屋がある。
街道の右には、もとから斜面と落ち窪んだ盆地があったが、
斜面は雨で土壌が流されたのか、石灰質の岩の塊がむき出しになり、
真っ白な階段、あるいは、異世界風にいうと段々畑という感じになっている。
その段のひとつひとつに雨水が薄くたまり、岩の白に水の青色が映えて美しい。
「答え合わせといきましょうか。
ごらんのとおり、ここは地面が弱いもので…ああいう術はよろしくないのですよ。
場合によっては、エリュシオンに拘束されることもあり得ますな。」
「それはわかったんだけど…これ、ひどくないか?」
「そうですなぁ。」
ラッシュの目線の先には、美しい斜面の先にある盆地…
今は、雨がさらった土壌がいきついた沼というべき場所が見える。
沼には泥をはじめとして、木や、旅人の捨てたゴミなどで、非常に汚らしい。
美しい風景だけを切り取った絵ハガキなどは近隣諸国でも売られており、
アクセスも悪くないため観光客も多いのだが、大抵はガッカリして帰ってゆくらしい。
「リア・フォールのあった場所って…。」
「沼の中でしたなぁ。
遠くからではダメなのですかな。」
「いや、細かい確認ができないし、何より操作の精度が落ちる。」
「では仕方ありますまい。」
・・・
「やーっと着いた…なんでお前がオレの頭にしがみついてんだ、パグズ?」
「いやはや、クシティの体ではどうにもなりませんゆえ。
姫様は大丈夫でございますかな。」
「うん…もちろんいい気分じゃないですけど。」
ミトラのひざ下ぐらいの沼をかきわけて、
三人はリア・フォールのあった場所までたどりついた。
ラッシュはちょっと待ってな、とつぶやいて手をかざす。
その瞬間、シエラはなにか力が渦巻くのを感じ、立ち竦んだ。
「あ、そっか、お前ってイリーナの娘だったんだ…。
じゃあ、折角だからさ、手伝ってくれよ。」
ラッシュの問いに答えようとするが、声が出ない。
かろうじて、シエラは首を小さく縦にふった。
「オレみたいに、手をかざして…そしたら、イメージが見えるからさ、
リア・フォールに光が灯るように、イメージするんだ。
いいか、光が灯るイメージだ。」
上手く動かない腕を前に突き出すと、うっすらだが絵のイメージが浮かぶ。
言われたとおり、それに光がともるようイメージをする。
眼前にぶわっと光が灯る。
光の過ぎ去ったあとには、岸壁に映る絵が現れた。
「どうやら、リア・フォールが天候を制御していたようですな。」
シエラの視界が明るいのは、リア・フォールのせいだけではない。
空を覆っていた暗雲は跡形もなく消え、陽の光が瞼に当たった。